イスラームは、この人生は短く、次の人生は永遠に続くと教えています。死の後、すべての人は自分がしたことに出会います。ジャンナは楽園、喜びの園です。ジャハンナムは火獄、業火です。クルアーンは両方についてよく語っています。人々がまだ時間のあるうちによく選べるように。
「全ての者は、死を味わう。そして復活の日、あなた方は(現世での行いに対する)自分たちの褒美を、余すことなく授かるのだ。それで、誰でも(地獄の)業火から遠ざけられ、天国に入れられた者は、確かに(自分が望む最高のものを)勝ち取ったのである」
(クルアーン 3:185)
死後
死は終わりではありません。死者たちは、この人生とよみがえらされる日との間の障壁、バルザフの中で待ちます。
預言者(ﷺ)は、墓の中で二人の天使がそれぞれの人に問いかけると言いました。それからそれぞれに、楽園か業火の中のその人の場所が示されます。彼らは復活の日まで朝夕それを見るのです。
裁きの日に、アッラー(﷾)はすべての人を裁かれます。何も失われません。微塵の重さの善も、微塵の重さの悪も、どちらも見られるのです。
ジャンナ、楽園
ジャンナは天と地ほども広い園で、その下を川が流れています。その住人はいつも健康で若く、決して死にません。アッラー(﷾)は彼らの心からあらゆる恨みを取り除かれます。彼らは疲れを感じず、誰も決して去るよう求められません。
クルアーン 57:21クルアーン 2:25Sahih Muslim 2837クルアーン 15:47クルアーン 15:48
預言者(ﷺ)は、アッラー(﷾)はかれの正しいしもべたちのために、どの目も見たことがなく、どの耳も聞いたことがなく、どの心も思い描いたことのないものを用意しておられると言いました。その中の足一つ分の広さの場所は、全世界とそこにあるすべてよりも良いのです。
地上で最もつらい人生を送った信者を考えてみましょう。一度楽園に浸されると、彼は何の苦難も一度も知らなかったと誓うでしょう。
その最大の喜びは園ではありません。クルアーンは、最大の至福はアッラー(﷾)のご満悦であると言っています。預言者(ﷺ)は、覆いが取り除かれるとき、彼らが与えられたものの中で、主を見ることほど彼らにとって愛しいものはないと言いました。
また、いかなる者も、彼ら(信仰者たち)が行っていた(善い)ことゆえの報いとして、彼らのために秘蔵された喜びを知らない。
(クルアーン 32:17)
ジャハンナム、火獄
ジャハンナムは本当の火です。クルアーンは、誰も不意を突かれないよう、それをはっきりと警告しています。預言者(ﷺ)は、この世の火は、ジャハンナムの火の七十分の一にすぎないと言いました。
そこでの一瞬は、一生の快適さよりも重いのです。地上で最も楽な人生を送った者を考えてみましょう。もし彼が業火の住人の中にいるなら、一度そこに浸されると、彼は何の快適さも一度も知らなかったと言うでしょう。
それは公正です。アッラー(﷾)は微塵の重さほども決して不正をなされません。かれは使徒が警告する前には誰も罰せられません。火獄には段階があり、それぞれの人の場所はその人自身の行いに従います。
それは、メッセージが届いた後に信仰を拒んだまま死ぬ者たちにとっては永遠に続きます。罪のためにそこに入る信者たちは、アッラー(﷾)の慈悲によって連れ出されます。からし種一粒の重さの信仰でさえ十分なのです。
「信仰する者たちよ、あなた方自身と、あなた方の家族を(地獄の)業火から守るのだ。その燃料は、人々と石」
(クルアーン 66:6)
ジャンナへの道
誰も行いだけで楽園を得ることはありません。預言者(ﷺ)は、自分でさえ、アッラー(﷾)がかれの慈悲で包まれる場合にだけ入るのだと言いました。信仰と善い行いは、人がその慈悲を求める道なのです。
道はいつも容易なわけではありません。預言者(ﷺ)は、業火は欲望に囲まれ、楽園は人々が嫌うものに囲まれていると言いました。彼はまた、楽園はあなたのサンダルの紐よりもあなたに近く、業火もそうであると言いました。
アッラー(﷾)は、母がその子に対するよりも、かれのしもべたちに対してより慈悲深くあられます。あなたが何をしてきたとしても、扉は死の時まで開いたままです。今かれに向き直りましょう。
「自分自身に対し、(罪という重荷を)背負いに背負った、わが僕たちよ。アッラーのご慈悲に絶望するのではない。本当にアッラーは、罪を全てお赦しになるのだから。本当にかれこそは、赦し深いお方、慈愛深いお方なのだぞ」
(クルアーン 39:53)