短い答え
敬意をもって、そしてクルアーンを尺度としてである。ムスリムは神がモーセに与えられたトーラーと、神がイエスに与えられたインジール(彼が説いた福音)を信じている。クルアーンは決して彼に今あるとおりの聖書に従えとは告げていない。それは自分を以前の書の上の守護者と呼んでおり、人々がそれらの言葉のいくつかを変えたと言っている。それでムスリムはそれぞれの箇所をクルアーンに照らして試す。聖書が唯一の神、預言者たち、道徳律、審判を教える所では、彼は古い啓示がなお語っているのを見る。それがクルアーンやそれ自身に矛盾する所、あるいは預言者に重い罪を帰する所では、彼は人々の仕事を見る。預言者(ﷺ)はムスリムに、啓典の民(ユダヤ教徒とキリスト教徒)が彼らに読み聞かせることを信じも否定もするなと告げた。学者たちはこれをクルアーンが沈黙している所に当てはめている。ムスリムはその一行一行を弁護する必要はない。
詳しい説明
クルアーンは以前の書の上に見張りとして立っている
クルアーンは自分を、それ以前の聖典の上のムハイミン(守護者であり証人)というアラビア語の語で描いている。それはそこで真実であることを確証し、残りの判定者である。ムスリム自身への命令は、自分たちの主が彼らに下されたものに従えということである。
“また(使徒よ)、われらはあなたに、それ以前の啓典(の正しさ)を確証し、かつ統制するものとして、真実の啓典(クルアーン)を下した。ならばアッラーがお下しになったものによって、彼らの間を裁くのだ。そして、あなたに到来した真理をよそに、彼らの欲望に従ってはならない。われらはあなた方の各々(の共同体)に、法と(明白な)道筋を授けた。そして、もしアッラーがお望みになったのであれば、あなた方を一つの(法に基づいた)共同体とされただろう。しかし(そうされなかったのは)、あなた方に授けたものにおいて、あなた方をお試しになるため。ならば、善行を競い合うがよい。アッラーにこそ(復活の日)、あなた方全員の帰り所はあり、そしてかれは、あなた方が意見を異にしていたことに関して、あなた方にお告げになるのだから。”
“(人々よ、)あなた方の主から、あなた方に下されたものに従うのだ。そして、かれをよそにして盟友たちに従うのではない。あなた方が教訓を得ることの、少ないことよ。”
クルアーンは人々が本文を変えたと言う
クルアーンはムスリムを今あるとおりの聖書へと送っていない。それは自分たちの手で啓典を書き、それは神から来たと言った人々について語っている。それは言葉をその場所から動かしたり、自分たちの舌で啓典をねじ曲げたりしたある者たちについて語っている。それはキリスト教徒が使信のかなりの部分を忘れたと言っている。聖書自身がイスラエルの預言者エレミヤを通して同じような警告を運んでいる。彼は書記たちの筆に反対し、生ける神の言葉を曲げた者たちに反対して語っている。クルアーンは、トーラーはそれを守るためにそのラビたちと律法学者たちに委ねられたと言う。それが神ご自身が守られると言う唯一の書はクルアーンである。
“それと引き換えに僅かな代価を得るため、自らの手で啓典を書き、「これは、アッラーの御許から下されたもの」などと言う者に、災いあれ。そして彼らの手が書いたものゆえに、彼らに災いあれ。また、(そのことで)彼らが稼ぐものゆえに、彼らに災いあれ。”
“また、本当に彼ら(ユダヤ教徒)の中には、あなた方がそれを啓典の一部と思い込むようにすべく、啓典(の内容)を口で言い換える一派がある。それは啓典の一部などではないのに。また彼らは、「これはアッラーの御許からのものだ」などと言う。それは、アッラーの御許からのものなどではないのに。彼らはアッラーについて、知りつつ嘘を語っているのだ。”
“ユダヤ教徒である者たちの中には、(啓典の)言葉を(本来の)意味合いからすり替え、また(預言者ムハンマドに対し)その舌を歪め、宗教を誹謗して(こう)言う(民がいる)。「私たちは(あなたの言葉を)聞きはするが、(あなたの命令には)逆らう」。「聞いてみよ、聞きはしないだろうが」。「私たちに配慮せよ」。もし彼らが「私たちは聞き、従います」「(私たちのことを)聞いてください」「私たちを見守って下さい」と言うのならば、それが彼らにとってより善く、より正しいのである。しかしアッラーは彼らの不信仰ゆえ、彼らを呪われた。彼らは、僅かばかりしか信仰しないのだから。”
“またわれらは、「私たちはキリスト教徒です」と言う者たちからも、その確約を取った。そして彼らも、自分たちがそれ(福音)で戒められていたものの多くを、忘れてしまったのだ。それで、われらは復活の日まで、彼らの間に敵意と憎悪を煽り立てた。アッラーはやがて、彼らが成していたことを、彼らにお告げになろう。”
“「どうしてあなたがたは、『われわれは賢い、ヤハウェの律法はわれわれと共にある』と言うのか。しかし見よ、書記たちの偽りの筆がそれを偽りとした。」”
“あなたがたは再び主の重荷と言ってはならない。人おのおのの言葉がその人の重荷となるからである。あなたがたは生ける神、万軍の主、われわれの神の言葉を曲げるからである。”
“本当にわれらは、(アッラーの法に)服従(イスラーム)した預言者たちが、それによってユダヤ教徒である者たちを裁く、導きと光を宿したトーラーを下した。また、学識豊かな指導者たちや学者らも、自分たちがアッラーの書(であるトーラーが改変されることから)の保持を託されたがゆえに(、それで裁いていた)。そして彼らは、それに対する証人だったのだ。ならば人々を恐れず、われ(アッラー)を恐れよ。そして、われの(規定という)御徴と引き換えに、僅かな値打ちのものを買ったりしてはならない。誰であろうと、アッラーがお下しになったもので裁かない者、それらの者たちこそは不信仰者なのである。”
“本当にわれらは訓戒(クルアーン)を下したのであり、実にわれらがまさしく、その守護者なのである。”
一致するか、矛盾するか、沈黙しているか
ムスリムは自分が読むものを三つの種類に分ける。ある箇所はクルアーンと一致する。モーセは言う。「イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である」。マルコはイエスにそれをすべての戒めの第一として繰り返させている。そこでムスリムは古い啓示がなお語っているのを聞く。ある箇所はクルアーンに矛盾する。出エジプト記はアロンが金の子牛を造ったと言う。クルアーンは、アロンが彼らに警告している間に、サーミリーという男が民を迷わせたと言う。そこでムスリムはクルアーンに従い、もう一つの記述の中に人々の手を見る。聖書の家系の一覧のほとんどやその歴史の細部のような、ほかの多くのことについて、クルアーンは沈黙している。それらの箇所を彼は信じも否定もしない。キリスト教徒はしばしばムスリムを聖書へと送るために5:47、5:68、10:94、6:115を引用する。それらの節はページ「クルアーンはムスリムに聖書に従うよう告げているのか?」と「『イスラームのジレンマ』はクルアーンが間違っていることを証明するのか?」で答えられている。
“イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。”
“イエスは答えられた、「第一のいましめはこれである、『イスラエルよ、聞け、主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である』。」”
“彼がこれを彼らの手から受け取り、工具で型を造り、鋳て子牛としたので、彼らは言った、「イスラエルよ、これはあなたをエジプトの国から導きのぼったあなたの神々である」。”
“かれは仰せられた。「というのも実にわれらは、あなた(の民との離別)の後、確かにあなたの民を試みたのだ。そしてサーミリーが彼らを、迷わせたのである」。”
“(ムーサーの帰還)以前、ハールーンは彼らに対し、確かに(こう)言った。「我が民よ、あなた方はまさしく、それ(仔牛)で試されている。そして本当に、あなた方の主は慈悲あまねきお方。ならば私に従い、私の命令に服すのだ」。”
ムスリムは、神がモーセに与えられたトーラーと、神がイエスに与えられたインジール(彼が宣べ伝えた福音)を信じています。
彼は今あるとおりの聖書に従わなければならないか?
いいえ。クルアーンは決して彼にそうするよう告げておらず、人々がその言葉のいくらかを変えたと言っている。
彼の基準は何か?
クルアーン。それは自分自身を、それ以前の書物の上に立つムハイミン、守護者であり証人と呼んでいる。
その箇所はクルアーンと一致しているか?
それなら彼は、「イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である」のように、古い啓示がなお語っているのを聞く。
それはクルアーンと、あるいはそれ自身と矛盾しているか?
それなら彼は人間の業を見る。出エジプト記はアロンが金の子牛を造ったと言っている。クルアーンは、ハールーンが民に警告している間にサーミリーが彼らを迷わせたと言っている。
クルアーンは黙っているか?
それなら彼は、預言者(ﷺ)が教えたとおり、それを信じも否定もしない。
本文を求め、それからそれを量れ
クルアーンが啓典の民に彼らの聖典について語る所では、それは彼らにそれを持って来て読み上げるよう求めている。それは証拠を求める仕方である。それはインジールの民に、神がその中に啓示されたものによって裁くよう告げている。それは今聖書に印刷されているすべての行ではなく、それがどこに現存するにせよ、神が啓示されたものを意味する。預言者(ﷺ)はムスリムに、啓典の民(ユダヤ教徒とキリスト教徒)が彼らに読み聞かせることを信じも否定もするなと告げた。彼らは、自分たちは神とかれが下されたものを信じると言うべきであった。ムスリムの学者たちは、これはクルアーンが確証も否定もしない報告を含むとしている。預言者(ﷺ)はまたムスリムにイスラエルの子らの物語を語ることを許した。
“トーラーが下される以前にイスラーイール(ヤァクーブ)が自ら禁じた者以外は、全ての(善き)食物はイスラーイールの子らに許されていた。(使徒よ、)言ってやるがいい。「トーラーを持ってきて、(アッラーがそれを禁じられたという証拠を見せるべく、)それを読誦してみよ。もし、あなた方が真実を語っているのならば。”
“福音の徒は、アッラーが(福音の)その中で下されたものによって裁決せよ。誰であろうと、アッラーがお下しになったもので裁かない者、それらの者たちこそは放逸な者である。”
アブー・フライラによれば、啓典の民はヘブライ語で律法を読み、それをアラビア語でムスリムたちに説明していた。預言者(ﷺ)はムスリムたちに、彼らを信じることも嘘つき呼ばわりすることもせず、こう言うよう告げた。私たちはアッラーと、私たちに下されたものを信じる(クルアーン2:136)。
アブドゥッラー・イブン・アムルによれば、預言者(ﷺ)は言った。私から得たものを、たとえ一節でも伝えなさい。イスラエルの子孫の話を語ってもよく、それに害はない。そして故意に私について嘘をつく者は、火獄に自分の席を用意するであろう。
さまざまな視点
イスラームの視点
ムスリムはモーセとイエスに与えられた啓示を信じ、今日の聖書を敬意と開かれた目をもって読む。最後の書であり神が保たれたものであるクルアーンが尺度である。それと一致するものは古い啓示がなお語っているのである。それに矛盾するものは人々の手である。預言者(ﷺ)はムスリムに、残りを確証も否定もせずにおくよう教えた。
クルアーンは自分をそれ以前の聖典の上の守護者であり証人と呼んでいる。
クルアーンは人々に、彼らの主から彼らに下された啓示に従うよう告げている。
クルアーンは、啓典の民のある者たちが自分たちの手で聖典を書き、言葉をその場所から動かしたと言う。それはキリスト教徒が使信のかなりの部分を忘れたと言う。
モーセとイエスは両方とも、クルアーンが教えるように、主なる私たちの神は唯一の主であると教えた。
出エジプト記はアロンが金の子牛を造ったと言う。クルアーンはサーミリーが民を迷わせ、アロンが彼らに警告したと言う。
預言者(ﷺ)はムスリムに、啓典の民が彼らに読み聞かせることを信じも否定もするなと告げた。
預言者(ﷺ)はムスリムにイスラエルの子らの物語を語ることを許した。
聖書がクルアーンと一致する所では、ムスリムはその中に現存する元の啓示を認める。それがクルアーンやそれ自身に矛盾する所では、彼はそれを人々の仕事と取る。