短い答え
天使たちがすべての行いを書き留め、神は大きな慈悲をもってそれらを数えられる。預言者(ﷺ)はその仕方を説明した。もしあなたが善い行いを意図したがそれをしなければ、一つの善い行いがあなたのために書かれる。もしあなたがそれをすれば、それは十の善い行いとして、七百まで、あるいはさらに多く書かれる。もしあなたが悪い行いを意図したが神のために思いとどまれば、善い行いがあなたのために書かれる。もしあなたがそれをすれば、ただ一つの悪い行いだけが書かれるか、あるいは神はそれを拭い去られるかもしれない。それで善は倍にされ、悪はされない。過ぎ去る悪い考えは、あなたがそれについて話したりそれに基づいて行動したりしない限り、赦される。クルアーンは、善い行いは悪い行いを取り除くと付け加えている。悔い改め、信じ、善を行う者たちのために、神は彼らの悪い行いを善いものに変えられる。
詳しい説明
書き記す天使たち
クルアーンは、すべての人に二人の天使が任じられており、一人は右に、一人は左にいると言う。それを書き留める用意のある見張りなしには、一言も語られない。クルアーンは彼らを、私たちがするすべてを知っている、親切で尊い書記(キラーマン・カーティビーン)と呼んでいる。
“右に、そして左に控える二人の受手が、(人間の行いを)受け取(って記録す)る時。彼(人間)は、自分に配備させられた監視役(の立ち会い)なしには、一言も発することがない。”
“本当にあなた方には、見守る者(天使)たちがついているのに。高貴で、記録する(者たちが)。彼らは、あなた方のすることを知っている。”
それぞれの行いがどのように数えられるか
預言者(ﷺ)は、自分の主が言われたことを語りながら、四つの場合を述べた。意図されたがなされなかった善い行いは一つの完全な善い行いとして書かれる。なされた善い行いは十から七百の善い行い、あるいはさらに多くとして書かれる。意図されたが神のためになされずに残された悪い行いは完全な善い行いとして書かれる。なされた悪い行いはただ一つの悪い行いとしてだけ書かれる。同じハディース、預言者(ﷺ)の言葉の別の伝承は、神はその一つさえ拭い去られるかもしれないと付け加えている。
預言者(ﷺ)は、アッラーは善い行いと悪い行いを記録されたと言った。善い行いを意図して行わない者には、完全な善行一つが書き記される。それを行えば、十から七百、あるいはそれ以上の善行が書き記される。悪い行いを意図して行わない者には、完全な善行一つが書き記される。それを行えば、悪行一つが書き記される。同じハディースの別の伝承経路は、アッラーはそれを拭い去ることさえされると付け加えている。
同じハディースの二つ目の伝承経路は、アッラーは行われた悪行さえ拭い去られることがあり、自ら破滅しようとする者のほかは誰もアッラーの前で破滅しないと付け加えている。
イブン・アッバースによれば、預言者(ﷺ)は、自らの主が言われたことを伝えて、こう教えた。善い行いを意図して行わなかったなら、それは完全な善行一つとして書き記される。それを行えば、十倍から七百倍、あるいはそれ以上として書き記される。悪い行いを意図して行わなかったなら、それは完全な善行一つとして書き記される。それを行えば、悪行一つとしてだけ書き記される。サヒーフ・ムスリム131にもある。
アブー・フライラによれば、預言者(ﷺ)は、アッラーは天使たちにこう告げられると言った。わがしもべが悪い行いを意図しても、行わない限りそれを書くな。行ったら、そのとおりに書け。わたしのためにそれをやめたなら、善行として書け。善い行いを意図して行わなかったら、善行一つを書け。それを行ったら、十から七百までとして書け。
| 行い | 意図したが、行わなかった | 行った |
|---|---|---|
| 善い行い | 一つの善い行いとして書き留められる | 十の善い行いとして、七百倍まで、あるいはそれ以上に書き留められる |
| 悪い行い | 神のためにやめたなら、一つの善い行いとして書き留められる | ただ一つの悪い行いとしてだけ書き留められる |
同じ言葉の別の報告では、預言者(ﷺ)は、神はその一つの悪い行いさえ消し去られるかもしれないと言いました。そして悔い改め、信じ、正しい行いをする者のために、神は悪い行いを善い行いに変えられるのです。
善は倍にされ、悪はされない
クルアーンは同じ尺度を述べている。善を行う者は誰でもその十倍を受け、悪を行う者は誰でもただその同等のものでだけ報われる。神の道において費やす者たちのために、それは七つの穂を生じる一粒の種の絵を与えている。それぞれの穂は百粒を持っているので、一粒は七百となり、神はかれが望まれる者にさらに多くを与えられる。
“(復活の日、)誰であろうと、一つの善行と共に(主の御許へ)やって来た者、彼には、その十倍(の褒美)がある。そして誰であろうと、一つの悪行と共に(主の御許へ)やって来た者、彼はそれと同等の報いしか受けない。彼らが不正を被ることはないのだ。”
“アッラーの道において自らの財産を費やす者たちの様子は、ちょうど七本の穂を実らせた、一つの種粒のようである。それぞれの穂には、百の種粒がついている。アッラーは、かれがお望みになる者に、(その褒美を)倍増されるのだ。アッラーは公量なお方、全知者であられる。”
意図と過ぎ去る考え
預言者(ﷺ)は、行いはその意図によって判断されると言ったので、善い意図はすでに数えられる。彼はまた、ただ心を通り過ぎるだけの悪い考えは赦されると言った。これは人がそれについて話すことも、それに基づいて行動することもしない限り成り立つ。
ウマル・イブン・アル=ハッターブは、預言者(ﷺ)が、行いは意図によって裁かれ、各人は自分が意図したものを得ると言うのを聞いた。現世の利益のため、あるいはある女と結婚するために移住した者は、自分が移住した目的のものしか得られない。
アブー・フライラによれば、預言者(ﷺ)は、アッラーは自分の共同体に、心をよぎる悪い考えを、それを口にしたり実行したりしない限り赦されたと言った。
拭い去られ変えられる悪い行い
クルアーンは、善い行いは悪い行いを取り除くと言う。悔い改め、信じ、正しい行いをする者のために、神は彼の悪い行いを善いものに変えられる。アムル・イブン・アル=アースはイスラームを受け入れる前に自分の過去の罪が赦されることを求めた。預言者(ﷺ)は彼に、イスラームはそれ以前に来たすべてを拭い去ると告げた。そして神は自分自身に不正を働いた者たちに、決してかれの慈悲に絶望するなと告げておられる。かれはすべての罪を赦されるからである。次の節は彼らに、懲罰が来る前に悔い改めて自分たちの主に立ち帰り、かれにひれ伏すよう告げている。
“また(預言者よ、)昼の両端と夜の一部に、礼拝を遵守せよ。本当に善行は、悪行を駆逐するのだから。それは教訓を得る者たちにとっての、教訓である。”
“また、アッラーと並べて別の神を祈らず、アッラーが禁じられた者を正当な権利なしには殺さず、姦通しない者たち。それ(らの大罪)を行う者は誰でも、(来世で)罪(の報い)に出会うのだ。復活の日、彼には懲罰が倍増され、卑しめられつつ、そこで永遠に留まることになる。但し、悔悟し、信仰し、正しい行いを行う者、それらの者たちはアッラーがその悪行を善行に換えて下さる。アッラーはもとより、赦し深いお方、慈愛深いお方なのだから。”
アムル・イブン・アル=アースは死の間際に、イスラーム以前、預言者(ﷺ)ほど自分にとって憎らしい者はなく、彼を殺したいと思っていたと言った。彼は、イスラームを受け入れるために預言者のもとに来たときのことを語った。彼は預言者に、誓約できるよう右手を差し伸べてほしいと頼み、それから自分の手を引っ込めた。なぜかと問われると、彼は条件をつけたい、赦されることだと言った。預言者は、イスラームはそれ以前にあったすべてを拭い去ることを知らないのかと尋ねた。
“(使徒よ、われがこう言っている、と言え。)「自分自身に対し、(罪という重荷を)背負いに背負った、わが僕たちよ。アッラーのご慈悲に絶望するのではない。本当にアッラーは、罪を全てお赦しになるのだから。本当にかれこそは、赦し深いお方、慈愛深いお方なのだぞ。”
“また、あなた方に懲罰が訪れる前に、あなた方の主に(悔悟して)立ち返り、かれに服従(イスラーム)せよ。(懲罰が訪れたら、あなた方は罰され、)そこから助けられることはなくなってしまうのだ。”
審判の日の書
審判の日に各人は広げられた自分の記録を与えられ、それを読むよう告げられる。それは小さいことも大きいことも何も漏らさない。けれども誰も不正に扱われない。一粒ほどの善でさえ見られるであろう。
“また、われらは全ての人間の首に、その取り分を括りつけた。そして復活の日、われらは彼に、彼がそれを開かれた状態で受け取る(ことになる、行いが記された)帳簿を出してやるのだ。(それから彼に、こう声がかかる。)「自分の帳簿を読め。この日、あなただけで、自分自身(の行いの報い)に対する清算者は十分なのである」。”
“そして、(現世での行いの)帳簿が(各人の右手、あるいは左手に)置かれ、あなたは罪悪者たちが、そこにあるものゆえに怯えて、(こう)言うのを見る。「ああ、我らが災いよ!(罪の内、)小さいことも大きいことも(記録して)数え上げずにはおかない、この帳簿は一体どういうことなのか!?」彼らは、自分たちが(現世で)行ったことをありありと目にする。あなたの主は誰にも、不正を働いたりはしないのだ。”
“それで、僅かな重みでも善いことを行う者は誰でも、(来世で)それ(に対する褒美)を見出すのであり、僅かな重みでも悪いことを行う者は誰でも、(来世で)それ(に対する応報)を見出すのだ。”
エゼキエルが教えたこと
紀元前六世紀のヘブライの預言者エゼキエルは同じ慈悲を教えた。彼を通して神は、悪人は自分のすべての罪から立ち返り、正しいことを行うことができると言われる。そうすれば彼の過去の悪のどれも彼に言及されることはない。
“しかし、悪人がもし、その犯したすべての罪を離れ、わたしのすべての定めを守り、公道と正義とを行うならば、彼は必ず生きる。死ぬことはない。その犯したすべてのとがは覚えられない。彼はその行った正義のために生きる。”
さまざまな視点
イスラームの視点
神の記録は正確であり、かれの数え方は寛大である。すべての行いは書かれ、善は何倍にもされ、悪は一度書かれるか拭い去られ、悔い改めは悪い行いを善いものに変える。
クルアーンは、記録する天使たちがすべての行いと言葉を書き留めると教えている。
預言者(ﷺ)は行いがどのように書かれるかを言った。意図された善い行いは一つとして、なされた善い行いは十から七百かそれ以上として書かれる。神のためになされずに残された意図された悪い行いは善い行いとして、なされた悪い行いは一つとして書かれる。
預言者(ﷺ)は、神はなされた悪い行いさえ拭い去られるかもしれないと言った。
クルアーンは、善は十倍に報われ、悪はただその同等のものでだけ報いられると言う。
預言者(ﷺ)は、神は彼の民が心の中を通り過ぎる悪い考えを赦されたと言った。これは彼らがそれについて話したりそれに基づいて行動したりしない限り成り立つ。
クルアーンは、善い行いは悪い行いを取り除くと教えている。神は悔い改めた者の悪い行いを善いものに変えられる。
クルアーンは、各人は審判の日に自分自身の完全な記録を読むと教えている。