短い答え
あなたは、アッラー(﷾)のほかに神はなく、ムハンマド(ﷺ)はアッラー(﷾)の使徒であると言い、本心からそう思うことによってムスリムになる。あなたはそれが何を意味するかを知ってそれを言う。これはシャハーダと呼ばれ、イスラームの五つの柱の第一である。それは何も費やさず、どんな司祭も待つ期間も必要としない。それは完全な生き方への入り口であり、新しいムスリムはそれを一歩一歩学ぶ。イスラームは、それに入ることは過去のすべての罪を拭い去ると教えている。ある男が、自分がしたことを恐れて、ためらったことがあった。預言者(ﷺ)は彼に、イスラームはそれ以前のすべてを拭い去ると告げた。クルアーンは、自分自身に不正を働いたすべての者に、アッラー(﷾)の慈悲への望みを失うなと告げている。ムスリムになるキリスト教徒はイエスを置き去りにしない。彼はイエスが教えた信仰を保つ。唯一のまことの神の崇拝と、神が遣わされた使徒たちへの信仰である。
詳しい説明
人をムスリムにする言葉
クルアーンは言う。アッラー(﷾)のほかに神はないことを知れ。預言者(ﷺ)は二つの部分から成る証言を、イスラームがその上に築かれた五つのことの第一として名指した。彼は自分の教友の一人ムアーズを、啓典の民、つまりユダヤ教徒とキリスト教徒がいる地に遣わした。彼はムアーズに、まず彼らをこの証言へと呼び、それから初めて彼らに礼拝と施しを教えるよう告げた。彼はまた、アッラー(﷾)のほかに神はないと知って死ぬ者は誰でも楽園に入ると言った。それで人はその言葉を、それが何を意味するかを知って言い、心からそれを言う。このサイトのページ「シャハーダ」がその言葉とその後に来ることを与えている。
“ならば(預言者よ)、アッラーの外には(真に)崇拝されるべき何ものもないことを知り、自分の罪のお赦しを乞うのだ。そして男の信仰者たちと、女の信仰者たちのためにも(罪の赦しを乞え)。アッラーはあなた方の動作も、あなた方の住処もご存知であられる。”
イブン・ウマルによれば、預言者(ﷺ)は、イスラームは五つの上に築かれていると言った。アッラーのほかに神はなく、ムハンマドはアッラーの使徒であると証言すること、礼拝を確立すること、ザカートを支払うこと、巡礼を行うこと、そしてラマダーン月に断食することである。
イブン・アッバースは、その解放奴隷アブー・マアバドを通して、預言者(ﷺ)がムアーズをイエメンに遣わしたとき、あなたは啓典の民のもとへ行くのだと告げたことを伝えている。彼はまず彼らに、アッラーのほかに神はなく、ムハンマドはその使徒であると証言するよう呼びかけねばならなかった。彼らがそれを受け入れた場合にのみ、彼は彼らに一日五回の礼拝を、それからザカート(義務の施し)を教えることになっていた。
ウスマーンによれば、預言者(ﷺ)は、アッラーのほかに神はないと知って死ぬ者は誰でも楽園に入ると言った。
払うものはなく、間に立つ者もいない
イスラームには聖職者階級も料金もない。人が待たなければならない儀式もない。クルアーンは、神は近くにおられ、かれに呼びかける者に応えられると言う。それは、かれは人にとって自分自身の首の血管よりも近くにおられると言う。多くの新しいムスリムは、歓迎されるように、ほかのムスリムの前でその言葉を言う。しかしクルアーンは人と神の間に誰も置いていない。
“そして(使徒よ、)わが僕たちが、われについてあなたに尋ねた時には、(われが、こう語っている、と言うのだ。)「本当にわれは、(あなた方の)近くにある。われに祈れば、われは、祈る者の祈願に応えよう。ならば、彼らが正しく導かれるように、われ(の呼びかけ)に応えさせ、われを信仰させるのだ」。”
“われらは確かに、人間を創った。われらは彼の心が自らに囁くものを知っており、頸静脈の管よりも彼に近いのである。”
過去は拭い清められる
アムル・イブン・アル=アースはイスラームを受け入れるために預言者(ﷺ)のもとに来たが、それから手を引っ込めた。彼は自分が赦されることを確かめたかったのである。預言者(ﷺ)は彼に、イスラームはそれ以前に来たすべてを拭い去ることを知らないのかと尋ねた。クルアーンは、自分自身に不正を働いたすべての者に、アッラー(﷾)の慈悲への望みを失うなと告げている。それは、神は悔い改め、信じ、善を行う者の悪行を善に変えられると約束している。預言者(ﷺ)はまた、死ぬまで証言を固く保つ者は誰でも、重い罪の後でさえ、最後には楽園に入ると言った。
アムル・イブン・アル=アースは死の間際に、イスラーム以前、預言者(ﷺ)ほど自分にとって憎らしい者はなく、彼を殺したいと思っていたと言った。彼は、イスラームを受け入れるために預言者のもとに来たときのことを語った。彼は預言者に、誓約できるよう右手を差し伸べてほしいと頼み、それから自分の手を引っ込めた。なぜかと問われると、彼は条件をつけたい、赦されることだと言った。預言者は、イスラームはそれ以前にあったすべてを拭い去ることを知らないのかと尋ねた。
“(使徒よ、われがこう言っている、と言え。)「自分自身に対し、(罪という重荷を)背負いに背負った、わが僕たちよ。アッラーのご慈悲に絶望するのではない。本当にアッラーは、罪を全てお赦しになるのだから。本当にかれこそは、赦し深いお方、慈愛深いお方なのだぞ。”
“但し、悔悟し、信仰し、正しい行いを行う者、それらの者たちはアッラーがその悪行を善行に換えて下さる。アッラーはもとより、赦し深いお方、慈愛深いお方なのだから。”
アブー・ザッルによれば、預言者(ﷺ)は、自分の共同体のうちアッラーに何ものをも並べずに死ぬ者は楽園に入るという吉報をジブリールがもたらしたと言った。アブー・ザッルは、姦淫や盗みを犯していてもですかと尋ねた。預言者は、姦淫や盗みを犯していてもだと言った。
アブー・ザッルによれば、預言者(ﷺ)は、アッラーのほかに神はないと言い、それを固く守って死ぬ者は誰でも楽園に入ると言った。アブー・ザッルは、姦淫や盗みを犯していてもですかと尋ねた。預言者は、それでもだと言い、アブー・ザッルが再び尋ねるたびにそれを繰り返した。アル=ブハーリーは、これは死に際して、あるいはそれより前に悔い改めて、アッラーのほかに神はないと言う者についてであり、その者は赦されると付け加えている。
真理を認めたキリスト教徒
クルアーンはキリスト教徒を信仰者たちに愛において最も近い者と描いている。それは彼らのある者たちが使徒(ﷺ)によってもたらされた啓示に耳を傾けている様子を描いている。彼らは真理を認めたので、その目は涙であふれた。彼らは神に、自分たちを証人たちの中に書き記してくださるよう求めた。
“また、信仰する者たちに対し、彼ら(人々)の内で最も親愛の念を示す者たちが、「本当に私たちは、キリスト教徒です」と言う者たちであることを、必ずや見出す。それは彼らの中には学僧や修道僧がおり、彼らが高慢ではないためである。”
“また、彼らが使徒に下されたもの(クルアーン)を聞く時、あなたは彼らの眼が、彼らが知った真理ゆえに涙で溢れるのを目にする。彼らは言う。「我らが主よ、私たちは信仰しました。ゆえに私たちを、証人たちと共に書き留めて下さい。”
イエスを去るのではなく、彼に従う
新約聖書の福音書では、イエスは神の唯一性を第一の戒めと呼んでいる。彼はまた唯一のまことの神と、神が遣わされた者について語っている。それがシャハーダの形である。唯一の神と、かれが遣わされた使徒である。クルアーンでは、イエスの弟子たちは彼に、自分たちがムスリムであることの証人になってくれるよう求めている。クルアーンでは、イエスはまた自分の後に来る使徒の吉報を与えている。ムスリムになるキリスト教徒はイエスへの愛を保ち、イエスがもたらした使信に従う。
“イエスは答えられた、「第一のいましめはこれである、『イスラエルよ、聞け、主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である』。」”
“永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。”
“(しかし彼らはイーサーを、嘘つき呼ばわりした。)それでイーサーは、彼らの不信仰を察知すると、言った。「アッラー(の道)への、私の援助者は誰か?」弟子たちは言った。「私たちが、アッラーの援助者です。私たちはアッラーを信じました。(イーサーよ、)私たちこそは服従する者(ムスリム)である、と証言して下さい」。”
“また、マルヤムの子イーサーが(こう)言った時のこと(を思い起こさせよ)。「イスラーイールの子らよ、本当に私は、トーラーという私以前のもの(の内容)を確証し、私の後に到来するアフマドという名の使徒の吉報を伝える、あなた方へのアッラーの使徒である」。そして彼(アフマド)が、明証を携えて彼らのもとに到来した時、彼らは言った。「これは紛れもない魔術だ」。”
共通の言葉への招き
クルアーンはユダヤ教徒とキリスト教徒を共通の言葉へと呼んでいる。彼らは神以外の誰も崇拝せず、かれにどんな同位者も立てず、かれのほかに誰も主としないことである。
“(使徒よ、)言え。「啓典の民よ、私たちとあなた方との間の(共通する)正しい言葉へとやって来なさい。『私たちはアッラー以外には崇拝せず、かれに対して何ものをも並べない。またアッラーを差しおいて、自分たちの内の誰かを主としたりもしない』(という言葉へ)」。もし彼らが(この呼びかけから)背き去ったのなら、(ムスリムたちよ、こう)言ってやるがいい。「私たちが(アッラーに)服従する者(ムスリム)であると、証言せよ」。”
ムスリムになること
- 支払うものも、探すべき司祭も、待つべき儀式もありません。
- 知った上で誠実に、それを信じそれを言いなさい。アッラー(﷾)のほかに神はなく、ムハンマド(ﷺ)はアッラー(﷾)の使徒である、と。
- あなたの過去はきれいに拭い去られます。イスラームはそれ以前に来たすべてを消し去ります。
- アッラー(﷾)の慈悲に決して望みを失ってはなりません。かれはすべての罪を赦されます。
- あなたはイエスを置き去りにするのではありません。あなたは彼への愛を保ち、彼がもたらしたメッセージ、唯一の真の神の崇拝に従うのです。
さまざまな視点
イスラームの視点
人は、知識と誠実さをもってなされる宣言によってムスリムになる。それは、アッラー(﷾)のほかに神はなく、ムハンマド(ﷺ)はかれの使徒であるということである。イスラームに入るためにほかに何も必要ない。そしてそれに入ることは以前に来た罪を拭い去る。
イスラームの五つの柱の第一は証言である。それは、アッラー(﷾)のほかに神はなく、ムハンマド(ﷺ)はアッラー(﷾)の使徒であるということである。
預言者(ﷺ)は自分の使節に、啓典の民をまずこの証言へと呼ぶよう告げた。礼拝と施しはその後に教えられることになっていた。
証言はそれが何を意味するかの知識をもってなされなければならない。
クルアーンは人と神の間にどんな司祭も司式者も置いていない。
イスラームを受け入れることはそれ以前に来た罪を拭い去る。
クルアーンは、自分自身に不正を働いた者たちに、アッラー(﷾)の慈悲に絶望するなと告げている。かれはすべての罪を赦されるからである。
クルアーンは、真理を認めたために啓示を聞いて泣いたキリスト教徒を描いている。
クルアーンは、イエスの弟子たちが自分たちをムスリムと呼んだことを記録している。