短い答え
両方とも唯一の創造主を意味しているが、かれについて異なることを言っている。ムール・マントラは、シク教徒が自分たちの生けるグルとして敬う聖典『グル・グラント・サーヒブ』を開く。それは神を、唯一であり、創造主であり、恐れも敵意もなく、不死であり、生まれず、自存すると呼んでいる。それは、アッラー(﷾)は唯一であり生まれないと言う純正章(112章)に近い。二つの信仰は三つの点で分かれる。一つは神の光がすべてのものの中にあるかどうかである。もう一つはグルが神と一つであるかどうかである。三つ目は神がどのように崇拝されるべきかである。イスラームは、何もかれに似ておらず、使徒は神によって遣わされた人であって、決してかれと一つではないと言う。創造主を名指すことは始まりであって、すべてではない。イスラームは、かれがご自身に与えられた名によってかれに呼びかけ、あなたに、かれが遣わされた最後の預言者(ﷺ)に耳を傾けるよう求めている。
詳しい説明
ムール・マントラ、『グル・グラント・サーヒブ』の信条
『グル・グラント・サーヒブ』はシク教徒が自分たちの生けるグルとして敬う聖典である。それは、グル・ナーナク(シク教徒はグル・ナーナク・デーヴ・ジーと言う)による短い信条ムール・マントラで始まっている。彼はシク教(シク教徒はシッキーとも言う)を創始した。グルムキー文字でのその最初の言葉はイク・オンカールであり、しばしば「唯一の創造主」と訳される。マコーリフはシクの学者たちの助けを得てシクの聖典の英訳を作り、オックスフォードがそれを1909年に出版した。彼のムール・マントラの訳が下に示されている。それは、その名が真実である唯一の神、創造主を名指している。それは、かれは恐れも敵意もなく、不死であり、生まれず、自存すると言う。
“ただ一人の神がおられ、その名は真実であり、創造主であり、恐れも敵意もなく、不死であり、生まれず、自存しておられる”
純正章、クルアーン自身の言明
純正章(誠実)は、クルアーンがアッラー(﷾)が誰であるかを言う短い章である。ムール・マントラとその章は、神は唯一であり、生まれないことで一致している。その章はさらに進む。かれは生まず、生まれず、何もかれに似ていない。クルアーン42:11はかれを天と地の創造主と呼び、再び何もかれに似ていないと言う。ムール・マントラは、かれは恐れと敵意から自由であると付け加えているが、クルアーンはそれをそのような言葉では言っていない。それで二つの言明は近い。
“使徒よ、)言え。「かれはアッラー、唯一なるお方、アッラーは、威光高きお方、お産みすることもなければ、お産まれにもならなかったのであり、誰一人、かれに匹敵するものもなかった」。”
“(アッラーは)諸天と大地の創成者。かれはあなた方自身の内から、あなた方のために配偶者を創られ、家畜の内からも雌雄をお創りになった。かれはそこにおいて、あなた方を繁茂させるのである。いかなるものも、かれには似ていない。そしてかれはよくお聞きになるお方、よくご覧になるお方である。”
『グル・グラント・サーヒブ』が神に用いる名
第五代グル、グル・アルジャンは、ティラングの讃歌の中で神にアッラー(﷾)として、そして慈悲深いクダーとして呼びかけている。ラーガ・ラームカリーの別の讃歌の中で、彼は人々がどのように神に呼びかけるかを伝えている。ある者はラーム、ある者はクダー、ある者はゴーサイン、ある者はアッラー(﷾)と言う。三つ目の讃歌はバガト・カビール、その讃歌が『グル・グラント・サーヒブ』の中にある詩人によるものである。彼はグルの一人ではなかった。彼は、まずアッラー(﷾)が光を創造されたと書いている。これらの行は、『グル・グラント・サーヒブ』が唯一の創造主に、ムスリムが用いる名(アラビア語のアッラー(﷾)、ペルシア語のクダー)を用いていることを示している。それらは、それがかれについてほかに何を言っているかを示しておらず、それが次の問いである。
“おおアッラーよ、あなたご自身が世界の主、慈悲深いフダーであられる。”
グル・アルジャンは、ある者は神をラーム、ラームと呼び、ある者はフダーと呼ぶこと、そしてある者はかれにグサーインとして、他の者はアッラーとして仕えることを書いている。彼はかれを原因の原因、寛大な方、慈悲深い方と呼ぶ。讃歌は続けて、人々がいかに異なるかを挙げる。ある者は聖なる水で沐浴し、ある者はマッカに行き、ある者はヴェーダを読み、ある者はカテーブを読み、ある者はヒンドゥーと言い、ある者はムスリムと言う。それは、神の御心を知る者は誰であれ自分の主の秘密を知るという言葉で終わる。
その讃歌が『グル・グラント・サーヒブ』にあり、十人のグルの一人ではなかったバガト・カビールは、まずアッラーが光を創造し、それからかれの創造の力によってすべての死すべき存在を作られたと書いている。一つの光から全宇宙が湧き出たのだから、誰が善く誰が悪いのか。
世界の近くに、そしてその上に
クルアーンは、かれは御座にしっかりと上がられたと言う。それはまた、かれはあなたがどこにいてもあなたと共におられ、求める者たちに「本当にわれは、(あなた方の)近くにある」と言う。それはまた「頸静脈の管よりも彼に近いのである」と言い、イブン・カスィールはそれをかれの天使たちについて読み、ほかの者たちはかれの知識について読んでいる。イブン・カスィールは「あなた方と共に」をアッラー(﷾)の見守りと知ることと読んでいる。彼は、学者たちは神がその被造物の中に住まわれるとか、それと合一されるとかいういかなる主張も退けていると言う。『グル・グラント・サーヒブ』も両方の仕方で語っている。グル・ナーナクのアールティーは、光はすべてのものの中にあると言う。グル・アルジャンは、神は被造物全体によって汚されないと言う。シクの師たちはこれを、すべての中に現存し、それでいてすべてを超えた神と描いている。イスラームもまた、かれは近く、すべての上におられると言うが、同じ仕方ではない。かれは、ご自身が造られたものの中にあることによってではなく、かれの知識、聴覚、視覚によって近くにおられる。そして何もかれに似ていない。
“かれは諸天と大地を六日間でお創りになり、それから御座に上がられた。かれは大地の中に入り込むものも、そこから出てくるものも、天から落ちてくるものも、そこへ昇っていくものも、ご存知である。また、かれはあなた方がどこにあろうとも、(その御知識と共に)あなた方と共にあるのだ。アッラーは、あなた方が行うことに通暁されたお方である。”
“(かれは)慈悲あまねきお方、まさに御座に上がられた。”
“そして(使徒よ、)わが僕たちが、われについてあなたに尋ねた時には、(われが、こう語っている、と言うのだ。)「本当にわれは、(あなた方の)近くにある。われに祈れば、われは、祈る者の祈願に応えよう。ならば、彼らが正しく導かれるように、われ(の呼びかけ)に応えさせ、われを信仰させるのだ」。”
“われらは確かに、人間を創った。われらは彼の心が自らに囁くものを知っており、頸静脈の管よりも彼に近いのである。”
イブン・カスィールは、アッラーが天と地を六日で創造し、それから玉座の上に昇られたことを思い起こさせることで始める。「かれはあなた方がどこにいようとも、あなた方とともにおられる」について、彼は、それはアッラーがあなたがたを見守り、陸でも海でも、夜でも昼でも、あなたがたがどこにいようとあなたがたの行いの証人であられることを意味すると言う。すべてのものはひとしくかれの知識、かれの視覚、かれの聴覚の内にある。かれはあなたがたの言葉を聞き、あなたがたの居場所を見、あなたがたの秘密を知っておられる。
イブン・カスィールは、この節は人間の創造主としての人間に対するアッラーの力と、そのすべての事柄を包み込むかれの知識について語っていると言う。「われらは(彼の)頸動脈よりも彼に近い」について、彼は、それはアッラーの天使たちが頸動脈よりも人に近いという意味だと言う。それをアッラーの知識の意味に取った者たちは、内在(フルール)や合一(イッティハード)のいかなる含意も避けるためにそうしたのであり、その両方とも学者たちの合意によって退けられている、と彼は言う。
“すべてのものの内にある光はあなたのものです、光の主よ。”
“あなただけが私の霊的かつ世俗的な主であり、あなたは全創造によって汚されることがない。”
“(アッラーは)諸天と大地の創成者。かれはあなた方自身の内から、あなた方のために配偶者を創られ、家畜の内からも雌雄をお創りになった。かれはそこにおいて、あなた方を繁茂させるのである。いかなるものも、かれには似ていない。そしてかれはよくお聞きになるお方、よくご覧になるお方である。”
グルと超越的な主
グル・アルジャンは、グルと超越的な主は一つであると書いている。多くのシクの師たちは、そのような行の中の「グル」を神の言葉と光と読んでいる。彼らは十人の人間のグルをその光の担い手として敬っている。その行は、シク教徒とムスリムが崇拝を異なって描く理由の一つである。
グル・アルジャンは書く。グルと超越的な主は一つであることを知れ。同じ讃歌の中で彼はグルを創造主にして超越的な主と呼び、グルなしには誰も解き放たれないと言う。
使徒は人であり、神には同位者がない
クルアーンは自らの使徒に、自分は聞き手と同様の人であり、彼に啓示が来るのだと言わせている。それは、神はその存在において同位者を持たず、何もかれに似ていないと教えている。イスラームはすべての使徒を敬い、彼らの誰も神とはしない。それがクルアーンが線を引く所であり、それはその線が守られるよう求めている。
“(使徒よ、)言え。「私は、『あなた方の(真に)崇拝すべきは、ただ一つの神』と啓示が下されている、あなた方と同様の一人の人間に過ぎない。それで自分の主との拝謁を望む者は、正しい行いに励み、自分の主の崇拝において、いかなるものも並べてはならない」。”
“使徒よ、)言え。「かれはアッラー、唯一なるお方、アッラーは、威光高きお方、お産みすることもなければ、お産まれにもならなかったのであり、誰一人、かれに匹敵するものもなかった」。”
創造主を名指すことは始まりである
クルアーンは、アッラー(﷾)に属する最も美しい名によってかれに呼びかけよと言う。それはまた、アッラー(﷾)に呼びかけてもラフマーンに呼びかけてもよい、両方ともかれの名であるからと言う。それは、マッカの偶像崇拝者たちが、誰が天と地を創造したかと尋ねられて、「アッラー」と言ったことを記録している。それでもクルアーンは彼らを、かれだけを崇拝するよう呼びかけた。その節はシク教徒についてのものではない。それは、クルアーンが創造主を名指すこと以上を求めていることを示している。それは、かれがお教えになったとおりに、かれが遣わされた使徒を通して、かれが崇拝されるよう求めている。
“アッラーにこそ、美名は属する。ならば、それによってかれに祈願するのだ。そして、かれの美名において(真理から)逸脱する者たちは、放っておくがいい。彼らはいずれ、自分たちが行っていた(悪)事の応報を受けることになるのだから。”
“(使徒よ、シルクの徒に)言うがよい。「アッラーに祈るがよい。あるいは、慈悲あまねきお方に祈ってもよい。(かれの美名の内の)いずれで呼ぼうと、最も美しい御名はかれにのみ属するのであ(り、かれは唯一なのであ)る。そしてあなたの礼拝を声高にせず、低くもせず、その中間の道を求めよ」。”
“(使徒よ、)もしも、あなたが彼ら(シルクの徒)に「諸天と大地をお創りになり、太陽と月を仕えさせられたお方は誰なのか?」と尋ねれば、彼らは決まって(こう)言うのだ。「アッラーである」。ならば一体、どうしてあなた方は(アッラーの信仰から)背かされるのか?”
五つの反論への答え
『グル・グラント・サーヒブ』アング13 — ソーヒラー(アールティー)、グル・ナーナク
“すべてのものの内にある光はあなたのものです、光の主よ。”
引用の目的
神はすべてのものの中におられる。かれの光はすべての中にある。イスラームはかれを遠いものとしており、世界から離れた神は誰の近くにもいることができない。
応答
イスラームはかれを遠いものとしていない。クルアーンはかれに「本当にわれは、(あなた方の)近くにある」と言わせ、かれはあなたがどこにいてもあなたと共におられると言う。イブン・カスィールは「あなた方と共に」を、かれの見守り、聞き、知ることと読んでいる。グル・アルジャンもまた神を「被造物全体によって汚されない」方と呼んでいるので、『グル・グラント・サーヒブ』もまた、かれをかれが造られたものを超えた方としている。イスラームは、かれは御座にしっかりと上がられ、すべてを知っておられ、何もかれに似ていないと言う。
結論 — 両方とも神は近くにおられると言う。イスラームは、かれはかれの被造物の中に現存することによってではなく、知識、聴覚、視覚によって近くにおられ、何もかれに似ていないと言う。
『グル・グラント・サーヒブ』アング724 — ラーガ・ティラング、グル・アルジャン
“おおアッラーよ、あなたご自身が世界の主、慈悲深いフダーであられる。”
引用の目的
名は問題ではない。『グル・グラント・サーヒブ』はかれをアッラー、クダー、ラームと同じように呼んでいるので、ムスリムは言葉をめぐって分裂しているのである。
応答
イスラームは、『グル・グラント・サーヒブ』がアッラー(﷾)とクダーを用いていることを認め、クルアーンはアッラー(﷾)あるいはラフマーンを許している。ムスリムが用いる名はかれがご自身に与えられたものであり、かれは私たちにそれらによってかれに呼びかけるよう告げておられる。ムスリムは、ラームやワーヘーグルのような、神に用いられるすべての語がかれの名の一つであるとは主張しない。問いは言葉をめぐる争いではない。それは、かれについて何が言われ、誰がそれを教えたかである。
結論 — イスラームは、かれがご自身に与えられた名によってかれに呼びかける(7:180、17:110)。
『グル・グラント・サーヒブ』アング864 — ラーガ・ゴーンド、グル・アルジャン
グル・アルジャンは書く。グルと超越的な主は一つであることを知れ。同じ讃歌の中で彼はグルを創造主にして超越的な主と呼び、グルなしには誰も解き放たれないと言う。
引用の目的
グル・アルジャンは、グルと神は一つであると書いているので、グルの中の光は神ご自身のものである。シャバド・グルは、ムスリムがクルアーンについてとしているように、神ご自身の言葉である。
応答
多くのシクの師たちは、そのような行の中の「グル」を神の言葉と光と読んでおり、人が神であるとは言わない。イスラームは、使徒が言葉をもたらすことに同意できる。ムスリムはクルアーンを神ご自身の言葉としているので、かれのものである言葉という考えを理解している。二つを分けるのは、どの言葉がかれのものかであり、クルアーンはそれについて試されることを求めている(2:23、4:82)。そして言葉をもたらすどの人も神と一つではない(18:110)。
結論 — イスラームでは、使徒は神によって遣わされた人であって、決してかれと一つではない(18:110、112章)。どの言葉が神のものかは試すことによって決められる(2:23、4:82)。
『グル・グラント・サーヒブ』アング724 — ラーガ・ティラング、グル・アルジャン
“昼も夜もあなたを崇める者たちが、どうして地獄に行くことがあろうか。”
引用の目的
もしアッラーが同じ神であるなら、なぜイスラームはシク教徒は地獄へ行くと言うのか?グル・アルジャン自身、昼も夜も神を崇拝する者がなぜそこへ行かなければならないのかと問うている。
応答
それは公正な問いである。イスラームはどの人にも判決を下さない。その裁きは神のものである。クルアーンは、メッセージがその人に届くまでは誰も罰せられないと教えている。それはまた、ひとたび届いたなら、神はその人からイスラーム以外のどんな道も受け入れられないと言う(3:85)。だからこそイスラームはあなたにメッセージを量るよう求めているのである。
結論 — メッセージがその人に届く前には誰も罰せられない(17:15)。ひとたび届いたなら、イスラームはあなたにそれを量るよう求めている(3:85)。
『グル・グラント・サーヒブ』アング1 — ジャプ、グル・ナーナク(ムール・マントラ)
“ただ一人の神がおられ、その名は真実であり、創造主であり、恐れも敵意もなく、不死であり、生まれず、自存しておられる”
引用の目的
シク教徒はすでにムール・マントラの唯一の創造主を崇拝している。それ以上は何も必要ない。
応答
それは真の始まりであり、イスラームはそれを歓迎する。クルアーンは、マッカの偶像崇拝者たちがアッラー(﷾)を創造主として名指し、それでもなお彼らをかれだけを崇拝するよう呼びかけたことを記録している。その節はシク教徒についてのものではない。それは、クルアーンが創造主を名指すこと以上を求めていることを示している。かれが与えられた名によって、かれが教えられた仕方でのかれの崇拝である。かれがどの道を教えられたかは、誰の言葉がかれのものかという問いである。ページ「神はシク教のグルたちを通して語られたのか?」がそれを取り上げている。
結論 — 創造主を名指し描くことは始まりである。イスラームは、かれが与えられた名によって、かれが教えられた仕方でかれが崇拝されるよう求めている。
さまざまな視点
シクの教え
シク教徒は唯一の創造主、イク・オンカール、ムール・マントラの神を崇拝している。『グル・グラント・サーヒブ』はムスリムの言葉でもかれを名指し、すべてのものの中のかれの光について語っている。
ムール・マントラは、恐れも敵意もなく、不死であり、生まれず、自存する唯一の創造主を教えている。
反論
認めよう。そしてクルアーンも同じことを言っている。アッラー(﷾)は唯一であり、生まれず(112章)、創造主である(42:11)。しかしクルアーンは正しい記述以上のことを求めている。それはかれが、かれご自身が教えられたとおりに崇拝されるよう求めている。
グル・アルジャンは神をアッラー、クダーと呼んでいる(アング724)。彼は、人々はかれをラーム、クダー、ゴーサイン、あるいはアッラーと呼ぶと伝えている(アング885)。それで名は問題ではない。
反論
名が共有されていることは認めよう。クルアーン自身、アッラー(﷾)あるいはラフマーンに呼びかけよと言っている(17:110)。しかしこれらはかれご自身の名であり、かれは私たちにそれらによってかれに呼びかけるよう告げておられる(7:180)。
神の光はすべてのものの中にある(アング13)ので、神はすべての人の近くにおられる。
反論
イスラームもまた、かれは近くにおられると言う。「本当にわれは、(あなた方の)近くにある」、そしてかれはあなたがどこにいてもあなたと共におられる。しかしかれは御座にしっかりと上がられ、何もかれに似ていない。
グル・アルジャンは、グルと超越的な主は一つであると書いている(アング864)。
反論
もしここでの「グル」が神の言葉であるなら、イスラームは神の言葉がかれご自身のものであることに同意する。問いはどの言葉がかれのものかであり、クルアーンはその主張の試しを差し出している。もしそれが人を意味するなら、クルアーンの使徒は、自分は聞き手と同様の人であると言っている。
グル・アルジャンは、昼も夜も神を崇拝する者がなぜ地獄へ行かなければならないのかと問うている(アング724)。それで唯一の神の崇拝者は安全である。
反論
それは公正な問いである。イスラームはどの人にも判決を下さず、クルアーンは、メッセージがその人に届くまでは誰も罰せられないと言う。それはまた、ひとたび届いたなら、神はその人からイスラーム以外のどんな道も受け入れられないと言う。
イスラームの視点
ムール・マントラと純正章は両方とも、生まれない唯一の神を描いている。イスラームは、何もかれに似ておらず、使徒は人であって、決して神と一つではないと付け加える。かれは、かれがご自身に与えられた名によって、そしてかれが教えられたとおりに崇拝されるべきである。信仰と崇拝は一つの生き方として共にある。
ムール・マントラと純正章は両方とも、生まれない唯一の神を描いている。
クルアーンは、神はあなたがどこにいてもあなたと共におられ、御座にしっかりと上がられたと言う。それは、何もかれに似ていないと言う。
ムスリムの学者たちは、神がその被造物の中に住まわれるとか、それと合一されるとかいういかなる主張も退けている。
クルアーンは自らの使徒に、自分は聞き手と同様の人であると言わせている。それは、神はその存在において同位者を持たないと教えている。
最も美しい名はアッラー(﷾)に属し、かれは私たちにそれらによってかれに呼びかけるよう告げておられる。
創造主を名指すことは始まりである。クルアーンは、かれがお教えになったとおりに、かれが遣わされた使徒を通して、かれが崇拝されるよう求めている。
メッセージがその人に届くまでは誰も罰せられない。