短い答え
はい、内容においては。十戒のそれぞれにクルアーンの中に対応するものがある。ただしクルアーンはそれらを一か所で十として挙げてはいない。それは、神がモーセに板に書かれた律法を与えられたと言う。それは神だけを崇拝することを命じ、信者に偶像を避けるよう告げる。それは神の御名を冒涜する(敬わない)者たちに警告する。それは、週ごとの休みの日である安息日が、イスラエルの子孫に与えられた命令であったと言う。それは両親への優しさを命じる。それは命を奪うこと、姦淫、盗みを禁じる。それは偽りの証言と真理を隠すことを禁じる。そしてそれは、神が他の人々に与えられたものをむさぼることを禁じる。これらの命令のいくつかは、夜の旅章と家畜章の二つの章で並んでいる。最初の戒め、神だけを崇拝することは、イスラームの核心である。
詳しい説明
モーセに与えられた板
クルアーンは、神がモーセに啓典を与えられたと言う。それは、かれが彼のために板に律法を書き、すべての事を命じ説明し、それをしっかりと保つよう彼に告げられたと言う。申命記は、神が二枚の石の板に十戒を書かれたと言う。
“われらは彼(ムーサー)のため、(宗教において必要な)全ての物事を、つまり訓戒と、全てのものの詳細を、碑板の中に記した。ならばそれを真摯に受け取り、あなたの民に命じて、その最善のものを行わせよ。じきにわれは、あなた方に放逸な者たちの住まいを見せてやるから。”
“また、あなた方が導かれるようにと、われらがムーサーに識別の啓典を授けた時のこと(を思い起こすのだ)。”
“主はご自分の契約を述べて、あなたがたに行えと命じられた。それはすなわち十戒であって、主はそれを二枚の石の板に書きしるされた。”
| 戒め(出エジプト記20章) | クルアーンでは |
|---|---|
| 他の神々はない | 神のほかに崇拝されるべきものはない。 |
| 刻んだ像はない | 偶像の忌まわしさを避けよ。 |
| 神の名をみだりに唱えてはならない | かれの御名を冒瀆する者たちから離れよ。 |
| 安息日を守れ | 神がイスラエルの子孫から取られた契約。 |
| 父と母を敬え | ただ神だけを崇拝することと同じ文の中での、両親への親切。 |
| 殺してはならない | 神が神聖とされた命を奪ってはならない。 |
| 姦淫してはならない | 姦淫に近づいてさえならない。 |
| 盗んではならない | 盗まないことは信仰する女性たちの誓いの一部であり、クルアーンは窃盗に刑罰を定めている。 |
| 偽証してはならない | 偽りに立ち会わない者たちが讃えられている。 |
| むさぼってはならない | 神が他の者たちにより多く与えられたものを欲しがってはならない。 |
一なる神、そして偶像はない
他の神々と刻んだ像(彫られた偶像)に対する戒めは、出エジプト記20章で最初に来る。クルアーンは、神のほかには誰も崇拝されてはならないと定めている。それは信者に偶像の忌まわしいもの(憎むべきもの)を避け、決して神に同位者を配さないよう告げる。クルアーンは最初の命令を、「かれの外に(真に)崇拝すべきものがなく」のような言葉で何度も繰り返している。
“あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。”
“(人間よ、)あなたの主は、あなた方がかれ(アッラー)以外には何も崇拝することなく、両親には孝行を(せよ)、と命じられた。もし彼らの内の片方、あるいは二人とも、あなたの許で高齢に達したなら、彼らに対して「ちぇっ」と言ったり、彼らに居丈高になったりしてはならない。そして彼らには(いつも)、温かい言葉をかけてやるのだ。また彼らに、慈悲の念による謙虚さの翼を下ろし、(こう)言うのだ。「我が主よ、彼らにご慈悲をおかけ下さい。彼らが幼かった私を(優しくいたわって)そだててくれたように」。”
“あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものには、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、”
“それ(が、アッラーのご命令)である。(ゆえにそれを厳粛に受け止めよ。)アッラーの神聖な諸事を厳粛なものとする者ならば、それが彼の主の御許で、より善いことなのである。また、あなた方に誦んで聞かされるものを除いて、あなた方には家畜(の食用)が許された。ならば偶像による穢れを避け、偽りの言葉を避けるのだ。アッラーに対して純正に、かれに(いかなるものも)並べることなく(、それらを避けよ)。そしてアッラーにシルクを犯す者は誰でも、(その様子は)天から墜落して、鳥が彼をさらってしまうか、あるいは風が彼を遠い場所へと(運び去って)放り落してしまうかのようである。”
“アッラーは、かれの外に(真に)崇拝すべきものがなく、永世するお方、全てを司るお方。まどろみも眠りも、かれを捉えることはない。諸天にあるものと、大地にあるものは(全て)、かれに属する。かれのお許しなくして、誰がかれの御許で執り成すことが出来ようか?かれは、彼ら(全存在)の前にあるものも、彼らの背後にあるものも、ご存知である。そしてかれのお望みになることの外、彼らはかれの御知識について、何も把握することはないのだ。かれの玉座は、諸天と大地に広がり、その二つの護持が、かれを疲れさせることもない。そしてかれは至高のお方、この上なく偉大なお方であられる。”
神の御名
神の御名をみだりに唱えることに対する戒めにも対応するものがある。クルアーンは、最も美しい御名は神に属すると言う。それは信者に、それらによってかれに呼びかけるよう告げる。それはまた、それらを冒涜する者、つまりそれらを敬わずに扱う者から離れるよう彼らに告げる。
“あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。”
“アッラーにこそ、美名は属する。ならば、それによってかれに祈願するのだ。そして、かれの美名において(真理から)逸脱する者たちは、放っておくがいい。彼らはいずれ、自分たちが行っていた(悪)事の応報を受けることになるのだから。”
安息日
安息日の戒めにも対応するものがある。クルアーンは、神がイスラエルの子孫(イスラエル人)に安息日を破らないよう命じられたことを確証している。それは、かれが彼らから厳かな契約、つまり約束を取られたと言う。それは、安息日はそれについて意見を異にした者たちに対してだけ厳しくされたと言う。イスラームはそれを、すべての民のための律法としてではなく、神がイスラエルの子孫に与えられた律法として受け入れている。
“安息日を覚えて、これを聖とせよ。”
“またわれらは、彼らの確約(の不履行)ゆえ、彼らの頭上に山を高く掲げたし、彼らに「身を低めて謹んで門に入るがよい」と言ったし、また彼らに「土曜(の安息)日に違反するのではない」とも言った(が、彼らはそれに背いた)。そしてわれらは、彼らから厳かなる確約を取ったのだ(が、彼らはそれも破棄した)。”
“土曜日(の偉大視)は、それにおいて意見を異にした者たちに定められたに外ならない。そして(使徒よ、)本当にあなたの主は復活の日、彼らが意見を異にしていたことについて、彼らの間を必ずやお裁きになるのだ。”
あなたの父母を敬え
父と母を敬えという戒めもそこにある。クルアーンは、両親への優しさを、神だけを崇拝することと同じ文の中に置いている。それは、彼らが年老いたときに彼らに軽蔑の一言を言うことさえ禁じている。
“あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。”
“(人間よ、)あなたの主は、あなた方がかれ(アッラー)以外には何も崇拝することなく、両親には孝行を(せよ)、と命じられた。もし彼らの内の片方、あるいは二人とも、あなたの許で高齢に達したなら、彼らに対して「ちぇっ」と言ったり、彼らに居丈高になったりしてはならない。そして彼らには(いつも)、温かい言葉をかけてやるのだ。また彼らに、慈悲の念による謙虚さの翼を下ろし、(こう)言うのだ。「我が主よ、彼らにご慈悲をおかけ下さい。彼らが幼かった私を(優しくいたわって)そだててくれたように」。”
命、結婚、財産
三つの戒めが殺人、姦淫、盗みを禁じている。クルアーンは、神が神聖とされた命を奪うことを禁じている。それは姦淫に近づくことさえ禁じている。それは、盗まないという約束を、信者の女たちが預言者(ﷺ)に与えた誓約の一部としている。そしてそれは、男であれ女であれ盗人に対する刑罰を、正当な法廷が適用するものとして定めている。
“あなたは殺してはならない。”
“また、権利がない限り、アッラーが(その殺害を)禁じられた者を殺してはならない。不正に殺された者は、われらが確かに彼の後見人に、根拠を与えたのだ。ならば、無駄に命を奪ってはならない。本当に彼(後見人)は、(その権利を満たすことにおいて)援助される者なのだから。”
“あなたは姦淫してはならない。”
“また、姦淫には近づくな。実に、それは醜行であり、悪い道なのだから。”
“あなたは盗んではならない。”
“預言者よ、信仰者の女たちが、あなたと誓約ーーアッラーに何も並べ(て崇拝せ)ず、盗まず、姦通せず、(出産前でも後でも)自分の子供たちを殺さず、自分たちの手と足の間で捏造をでっち上げず、善事においてあなたに逆らわない、との(誓約)ーーを交わしに、あなたのもとにやって来たら、彼女らと誓約を交わし、彼女らのためにアッラーにお赦しを乞え。本当にアッラーは、赦し深いお方、慈愛深いお方なのだから。”
“(イスラーム法によって統治する者よ、)男女の窃盗犯は、彼らが(不当に)稼いだことの応報、アッラーからの懲罰ゆえに、その手を切断するのだ。アッラーは、偉力ならびないお方、英知あふれるお方。”
真実とむさぼり
最後の戒めは偽りの証言とむさぼり、つまり他人のものを欲しがることを禁じている。クルアーンは、偽りの証言をしない者たちを称えている。それは真理を虚偽で覆うことを禁じている。そしてそれは、神が他の人々により多く与えられた賜物をむさぼることを禁じている。
“あなたは隣人について、偽証してはならない。”
“また、偽りには立ち会わず、戯言(が語られている状況)に出逢えば、綺麗に通り過ぎる者たち。”
“また、知っていながら、真理に虚妄を紛れさせたり、真理を隠蔽したりしてはならない。”
“あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない。”
“アッラーがあなた方のある者に対し、他の者よりも多くお恵みになったものに関して、羨望するのではない。男たちには彼らが稼いだもの(行い)による取り分があり、女たちにも彼女らが稼いだもの(行い)による取り分があるのだ。(羨望する代わりに)アッラーの恩寵を乞うがよい。本当にアッラーはもとより、全てのことをご存知であられるお方なのだから。”
一つの箇所にいくつかの戒め
出エジプト記20章のように、クルアーンもこれらの命令のいくつかを一か所に集めている。家畜章(6章)で、預言者(ﷺ)は神が禁じられたものを読み上げるよう告げられる。その一覧には、かれに同位者を配すること、両親への不親切、貧しさを恐れて自分の子供を殺すこと、恥ずべき行い、そして不当に命を奪うことが含まれている。
“(使徒よ、)言ってやるがいい。「来なさい。私はあなた方の主が、あなた方に禁じられたことを誦んで聞かせよう。あなた方は、(アッラーの崇拝において、)いかなるものもかれに並べてはならない。そして自分の両親に孝行を(せよ)。また貧困ゆえに、あなた方の子供たちを殺してはならない。われらが、あなた方と彼らを養うのだから。また醜行には、その内の露なものにも、秘められたものにも、近づくな。そして権利がない限り、アッラーが(その殺害を)禁じられた者を殺してはならない。それはあなた方が分別するようにと、かれがあなた方に命じられたことなのである。”
像についての戒め
出エジプト記は像を作りそれにひれ伏すことを禁じている。カトリックの教会にはイエス、マリア、聖人たちの像がある。正教会のキリスト教徒はイコン(聖画)の前でひれ伏す。どちらの教会もこれを崇拝ではなく崇敬、つまり深い敬意と呼んでいる。モスクにはまったく像がなく、ムスリムは神だけにひれ伏す。
“あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものには、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、”
誰が安息日を変えたのか
戒めは七日目を名指している。モーセの律法は安息日を永遠の契約、つまり続いていく約束と呼んでいる。イエスはそれを守り、いつものように安息日に会堂(ユダヤ教の礼拝の家)に行った。しかしほとんどすべての教会は今、週の第一日である日曜日に休んでいる。それは神の命令にもイエスの言葉にもよらずにそうしている。神だけが、預言者を通してかれの律法を変えられるのであり、どの預言者もこの変更をもたらさなかった。クルアーンは、安息日はそれについて意見を異にした者たちに対してだけ厳しくされたと言うので、ムスリムは神が彼らに与えられたものを何も変えていない。
“ゆえに、イスラエルの人々は安息日を守り、永遠の契約として、代々安息日を守らなければならない。”
“それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた。”
“土曜日(の偉大視)は、それにおいて意見を異にした者たちに定められたに外ならない。そして(使徒よ、)本当にあなたの主は復活の日、彼らが意見を異にしていたことについて、彼らの間を必ずやお裁きになるのだ。”
“また(使徒よ)、われらはあなたに、それ以前の啓典(の正しさ)を確証し、かつ統制するものとして、真実の啓典(クルアーン)を下した。ならばアッラーがお下しになったものによって、彼らの間を裁くのだ。そして、あなたに到来した真理をよそに、彼らの欲望に従ってはならない。われらはあなた方の各々(の共同体)に、法と(明白な)道筋を授けた。そして、もしアッラーがお望みになったのであれば、あなた方を一つの(法に基づいた)共同体とされただろう。しかし(そうされなかったのは)、あなた方に授けたものにおいて、あなた方をお試しになるため。ならば、善行を競い合うがよい。アッラーにこそ(復活の日)、あなた方全員の帰り所はあり、そしてかれは、あなた方が意見を異にしていたことに関して、あなた方にお告げになるのだから。”
さまざまな視点
キリスト教
十戒は神の律法であり、シナイでモーセに与えられ、石に書かれた。イエスはそれらを永遠の命への道として指し示した。
申命記は、神が二枚の石の板に十戒を書かれたと言う。
反論
イスラームは同意する。クルアーンもまた、神がモーセのために板に律法を書かれたと言う。イスラームは、クルアーンが同じ道徳律を確証しており、その最初の命令は神だけを崇拝することであると付け加える。
永遠の命のために何をすべきかと尋ねられて、イエスは戒めを挙げた。
反論
イスラームは、イエスが戒めを指し示したことに同意する。クルアーンは殺人、姦淫、盗み、偽りの証言に対する同じ命令と、両親を敬えという同じ呼びかけを与えている。イスラームは神だけを崇拝することを第一に置く。
イスラームの視点
クルアーンは、神がモーセに与えられた道徳律を確証している。すべての戒めにクルアーンの中に対応するものがある。最初の、神だけを崇拝することは、預言者(ﷺ)がもたらしたメッセージの中心である。
クルアーンは、神がモーセのために板に律法を書かれたと言う。
クルアーンは神だけを崇拝することを命じ偶像を禁じており、他の神々と像に対する戒めに対応している。
クルアーンは、十戒がそうするように、殺人、姦淫、盗み、偽りの証言、むさぼりを禁じている。
クルアーンは、安息日をイスラエルの子孫に与えられた命令として確証している。
クルアーンとトーラーは、どちらも同じ神から来ているので、一つの道徳律を分かち合っている。
ムスリムは、像や聖画の前でひれ伏すカトリックや正教会の教会よりも、像に対する戒めを厳しく守っている。