短い答え

いいえ。その節は「かたち」と言っており、かたちは神であることと同じではありません。ギリシア語の言葉モルフェーは、外見を意味することがあります。後からマルコの終わりに加えられた箇所であるマルコによる福音書16:12は、イエスが二人の弟子たちに「ちがった姿で」現れるときにそれを用いています。多くの学者はその節を、アダムとエバが「神のように」なるという蛇の約束に手を伸ばす創世記を背景にして読んでいます。その読み方では、イエスは神と等しくあることに手を伸ばさなかった者なのです。続く節は、神が彼を高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜わったと言っており、それはすべて父なる神の栄光のためです。一世紀のキリスト教の宣教者パウロは、キリストのかしらは神であるとも書いています。イエスは言いました。「父がわたしより大きいかたである」。ですからその箇所は、神によって尊ばれた僕を示しているのです。イスラームも同じことを教えています。イエスは神の僕でした。

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