短い答え
いいえ。イエス自身が、その時、つまり終わりの日がいつ来るかを知らないと言った。彼は、誰もそれを知らず、「また子も知らない。ただ父だけが知っておられる」と言った。聖書は神は「すべてをご存じ」であると言う。その時を知らない者は神ではない。キリスト教徒は、彼はただ人としてそれを知らなかったのだと答える。しかし彼らはまた、彼は一つの位格、子なる神であると言う。それで彼らが神と呼ぶ者が知らなかったのである。キリスト教徒が彼の復活と呼ぶものの後でさえ、彼は時期は父の権威の内にあると言った。イスラームも同じ答えを与えている。預言者ムハンマド(ﷺ)は、その時について尋ねられた者は尋ねる者以上に知らないと言った。クルアーンは、その知識はアッラー(﷾)だけのもとにあると言う。イエスもムハンマド(ﷺ)も、神だけが知っておられると言った。
詳しい説明
イエスがその時について言ったこと
その時とは終わりの日、世界が終わり審判の日が始まる時である。彼の弟子たちはイエスに終わりについて尋ねた。彼は、誰もその日その時を知らないと言った。天使たちはそれを知らず、「また子も知らない。ただ父だけが知っておられる」。マタイでは彼は父「だけ」と言う。聖書は神は「すべてをご存じ」であると言う。その日を知らない者は全知ではない。それで聖書自身の言葉によれば、彼は神ではない。
“その日、その時は、だれも知らない。天にいる御使たちも、また子も知らない。ただ父だけが知っておられる。”
“その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも知らない。ただ父だけが知っておられる。”
“たといわたしたちの心に責められるようなことがあっても、神はわたしたちの心よりも大いなるかたであって、すべてをご存じだからである。”
ある写字生たちが落とした言葉
マタイによる福音書24:36の最も古く最もよい写本もまた「子も」を持っている。写本とは古い手書きで写された本文である。現代の翻訳はこれらの言葉を印刷している。後の写本のほとんどはそれらを省いており、ここに示された欽定訳聖書もそうである。新約聖書の写本の主要な学者ブルース・メッツガーは、1994年の注解の中で、写字生たちがその言葉を加えたというより、それを落とした可能性の方が高いと書いた。彼はその理由を与えた。その言葉は教理にとって難しさを引き起こしたのである。
マタイによる福音書24:36について、メッツガーは、「子も」という言葉は、アレクサンドリア型と西方型の最良の初期写本には見られるが、後代の写本の大部分には欠けていると報告し、写字生がそれを加えたというより、教理上の難しさのために削ったと考える方が蓋然性が高いと判断している。
“その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも知らない。ただ父だけが知っておられる。”
二つの本性の答え
キリスト教徒は、キリストには一つの位格の中に神的と人間的の二つの本性があると答える。神として彼はすべてのことを知っていた。しかし「僕のかたち」をとることで、彼は人間の限界を受け入れた。それで彼は人としてその日について語った。451年の教会会議であるカルケドン公会議が、これを教会の公式の教えとした。
“キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。”
公会議は、同一のキリストが神性と人性の二つの本性においておられると告白し、彼は「二つの位格に分けられたり分割されたりせず、同一の子である」と宣言した。
知らなかった子とは誰であったのか?
キリスト教徒は、一つの位格、子なる神が、彼の神的な心においてはその日を知っていたが、彼の人間的な心においては知らなかったと言う。しかしそれなら一つの同じ位格が、同じことを知っていて、かつ知らなかったことになる。そしてイエスは「わたしの人間の心は知らない」とは言わなかった。彼は「子も知らない」と言った。答えが、キリストの中の誰かほかの者が知らなかったのだというものだと仮定しよう。それは二つの位格を作る。教会はその教えを、五世紀のコンスタンティノープルの主教ネストリウスの名のもとに断罪した。431年のエフェソス公会議は、キリストを二つに分けたとして彼を職から退けた。カルケドンは、キリストは「二つの位格に分けられたり分割されたりせず」と宣言した。その教えがエフェソスで勝利した五世紀の教会指導者アレクサンドリアのキュリロスは、神の言、子なる神が肉において苦しんだと言った。同じ規則によれば、その時を知らなかった子は、存在する唯一の子である。
公会議は、同一のキリストが神性と人性の二つの本性においておられると告白し、彼は「二つの位格に分けられたり分割されたりせず、同一の子である」と宣言した。
キュリロスは、神の言が肉において苦しみ、肉において十字架につけられ、肉において死を味わったことを告白しない者を断罪する。キュリロスの教えは431年のエフェソス公会議で勝利し、この会議はキリストを二つに分けたとしてコンスタンティノポリスの主教ネストリオスを罷免した。
“その日、その時は、だれも知らない。天にいる御使たちも、また子も知らない。ただ父だけが知っておられる。”
「知る」は「告げる」を意味したのか?
430年に死んだ北アフリカの主教アウグスティヌスは、別の答えを与えた。彼は、子は「他の者を知らないままにしておく者として、これを知らない」と言った。言い換えれば、子は知っていたが、そのとき弟子たちに告げなかったのである。アウグスティヌスは、イエスは「ふさわしい時に」彼らに告げようとしていたと言った。しかしその節はまた天使たちも知らないと言っており、誰も天使たちが知っていて黙っていたとは言わない。それは父だけが知っておられると言う。そしてイエスは決して彼らに告げなかった。よみがえった後、彼は言った。「時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなたがたの知る限りではない」(使徒行伝1:7)。
“また、その日その時は、だれも知らない。天にいる御使たちも、また子も知らない。ただ父だけが知っておられる。というのは、彼は他の者を知らないままにしておく者として、これを知らないのである。すなわち、その時に弟子たちに示すようには知っていなかったという意味においてである。彼は確かに、ふさわしい時に、まさにこのことを弟子たちに告げようとしていたのだから。”
“その日、その時は、だれも知らない。天にいる御使たちも、また子も知らない。ただ父だけが知っておられる。”
“さて、使徒たちが一緒に集まったとき、イエスに問うて言った、「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」。彼らに言われた、「時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなたがたの知る限りではない。」”
引き上げられる前に、彼はなお父を指し示している
二つの本性の答えにとってさらなる問題がある。使徒行伝は、イエスが引き上げられる直前の彼の弟子たちとの最後の話を語っている。彼らは、彼が今イスラエルのために国を復興するのかと尋ねた。彼は、時期と場合は父の権威の内にあると答えた。彼はそれらが自分の内にあるとは言わなかった。聖書の最後の書は、自らを「神が…キリストに与え」た黙示と呼ぶことで始まっている。キリスト教徒は、その書は天におられるイエスから来たと信じている。そこでさえ、彼が未来について知っていることは彼に与えられたものである。
“さて、使徒たちが一緒に集まったとき、イエスに問うて言った、「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」。彼らに言われた、「時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなたがたの知る限りではない。」”
“こう言い終ると、イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった。”
“イエス・キリストの黙示。この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをその僕たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、御使をつかわして、僕ヨハネに伝えられたものである。”
預言者(ﷺ)はジブリールに答える
イスラームも同じ答えを与えている。天使ジブリールは預言者ムハンマド(ﷺ)に、その時はいつ来るのかと尋ねた。彼は、尋ねられた者は尋ねる者以上に知らないと答えた。それから彼は、その時の知識はアッラー(﷾)だけのもとにあるという節を読誦した。クルアーンは彼に、人々が尋ねるたびにまさにその答えを与えるよう命じている。イエスとムハンマド(ﷺ)はそれぞれその時について尋ねられた。両方とも、神だけがそれを知っておられると言った。
アブー・フライラによれば、天使ジブリールが人の姿で預言者(ﷺ)のもとに来て、信仰、イスラーム、崇拝における至善(イフサーン)について尋ね、それから終末の時はいつ来るのかと尋ねた。預言者は、それについて尋ねられている者は尋ねている者以上に知っているわけではないと答えた。彼はその兆しのいくつかを述べ、終末の時はアッラーのほかに誰も知らない五つのことの一つであると言い、クルアーン31:34を読誦した。
“本当にアッラー、かれの御許にこそ、(復活の日の)その時の知識がある。またかれは慈雨をお降らしになり、子宮の中にあるものをご存知になる。そしていかなる者も、自分が明日かせぐことになるものを知らず、いかなる者も、自分がいずこの地で死ぬことになるかを知らないのだ。本当にアッラーは、全知者、(全てに)通暁されるお方。”
“(使徒よ、)彼ら(マッカの不信仰者)は復活の日について、その到来がいつなのか、あなたに尋ねる。言ってやるがいい。「その知識は、我が主の御許にこそある。その(到来する)時期にそれを露わにされるのは、かれのみなのだ。それは諸天と大地(の住人たち)に重い。それは突然にしか、あなた方のもとにやって来ることがないのだ」。彼らはまるで、あなたがそれ(を知ること)に躍起な者であるかのように、あなたに尋ねる。言ってやれ。「その知識は、アッラーの御許にこそある。しかし人々の大半は、(そのことが)分からないのだ」。”
節ごとに
マルコによる福音書 13:32 — 第13章32節
“その日、その時は、だれも知らない。天にいる御使たちも、また子も知らない。ただ父だけが知っておられる。”
引用の目的
イエスはここで、地上の生涯の間、彼の人間的な本性においてだけ語ったのである。子なる神として彼はその日を知っていた。
応答
信条はキリストの中に一つの「彼」、子なる神だけを認めている。それでその日を知らなかったのは子なる神であった。引き上げられる直前でさえ、彼はその知識を主張していない。彼は時期を父の権威の内に置いている。ヨハネの黙示録は、彼が未来について知っていることを「神が…キリストに与え」たものと呼んでいる。
結論 — その節はイエスがその時を知らなかったことを示している。二つの本性の答えは、キリスト教徒が神と呼ぶ一つの位格からそれを取り除くことはできない。
マルコによる福音書 13:32 — 第13章32節
“その日、その時は、だれも知らない。天にいる御使たちも、また子も知らない。ただ父だけが知っておられる。”
引用の目的
イエスは知識を欠いていたのではない。彼は、ユダヤ人の婚礼で父がその日を定めたように、その日は自分が告げるべきものではないという意味で言ったのである。
応答
その節は告げることについてではなく、知ることについてである。誰もその日を知らない。天使たちも、子も知らず、ただ父だけが知っておられる。同じ「知る」という言葉がその全員を覆っており、誰も天使たちがその日を知っていたが告げることを許されなかったとは言わない。マタイでは父「だけ」が知っておられるので、聖霊も除かれている。そしてイエスはここで婚礼について何も言っていない。
結論 — その節は誰がその日を知っているかを名指しており、それは父だけを名指している。
さまざまな視点
主流のキリスト教
イエスは完全に神であり完全に人であり、二つの本性における一つの位格である。神として彼はすべてのことを知っていた。彼の人間的な本性において、地上の生涯の間、彼はその日を知らなかった。
パウロは、キリストは「僕のかたち」をとり、人間の姿になられたと言う。
反論
イスラームは、イエスは神の僕であったことに同意している。しかしもし子なる神が限界を身に受け、その時を知らなかったのなら、神と呼ばれる者は全知ではなかったのである。聖書は神は「すべてをご存じ」であると言う。
キリスト教徒は、イエスがその日を知らなかったことは彼の神的な本性ではなく、人間的な本性に属すると考える。
反論
イエスは「わたしの人間の心は知らない」とは言わなかった。彼は「子も知らない」と言った。信条はキリストの中に一つの位格だけを認めているので、彼らが神と呼ぶ者が知らなかったのである。引き上げられる直前でさえ、彼はなお時期を父の権威の内に置いていた。
アウグスティヌスは、子は確かにその日を知っていたと言った。彼はただそのとき弟子たちにそれを知らせなかっただけである。
反論
その節は子を、本当に知らない天使たちやすべての人々と並べている。父だけが知っておられる。アウグスティヌスは、イエスは後に弟子たちに告げるであろうと考えた。しかし復活の後、彼は言った。「時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなたがたの知る限りではない」(使徒行伝1:7)。
イスラームの視点
イエスは神が彼に教えられたことを知っていた預言者であった。イエスが言ったように、そして彼の後に預言者ムハンマド(ﷺ)が言ったように、神だけがその時を知っておられる。
イエスは、誰もその日その時を知らず、「また子も知らない。ただ父だけが知っておられる」と言った。
ヨハネの第一の手紙3:20は神は「すべてをご存じ」であると言い、マルコによる福音書13:32は子はその日を知らないと言う。
その時を知らない者は全知ではないので、彼は神ではない。
マタイによる福音書24:36の後の写本のほとんどは「子も」を落としている。メッツガーは、これはおそらく教理上の理由でなされたと判断している。
引き上げられる直前に、イエスはなお時期は父の権威の内にあると言った。
ヨハネの黙示録は、自らを「神が…キリストに与え」た黙示と呼んでいる。
教会はキリストを二つの位格に分けることを断罪し(エフェソス、431年)、彼を一つの子と定義した(カルケドン、451年)。
信条はキリストの中に一つの位格、子なる神だけを認めている。それで二つの本性の答えは、その一つの位格がその時を知っていて、かつ知らなかったままにしている。
ジブリールは預言者(ﷺ)に、その時はいつ来るのかと尋ねた。彼は、尋ねられた者は尋ねる者以上に知らないと言った。
クルアーンは、その時の知識はアッラー(﷾)だけのもとにあると教えている。