短い答え
はい。ヘブル人への手紙は、イエスは自分を死から救う力のある方に祈り、聞きいれられたと言う。ラザロの墓で、イエスは神に、かれはいつも自分の願いを聞いてくださると言った。ゲツセマネの園で、彼は苦しみの杯が自分から過ぎ去るよう三度祈った。ルカはまた、天使が天から来て彼を力づけたと言う。詩篇は、正しい者が叫ぶとき、主は聞いて彼らを救い出されると約束している。それで聞きいれられた死から救われることを求める祈りは、救出によって答えられた祈りである。クルアーンは何が起こったかを言っている。彼らは彼を殺さず、十字架にかけもせず、アッラー(﷾)は彼をご自分のもとに引き上げられた。
詳しい説明
ゲツセマネで彼が求めたこと
捕らえられる夜、イエスはその杯が自分から過ぎ去るよう求めた。彼は神に、かれにはなんでもできることを思い起こさせた。彼は三度祈った。ルカは、天使が天から来て彼を力づけたと言う。ルカのこれら二つの節、22:43-44は、ルカの最も古い手書きの写本であるいくつかの最初期の写本にない。しかしそれらは欽定訳聖書にあり、ほとんどの現代の聖書は、あるものは括弧に入れて、今もそれらを印刷している。
“そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさってください」。”
“そして言われた、「アバ、父よ、あなたには、できないことはありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください」。”
“「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」。”
“それで彼らをそのままにして、また行って、三度目に同じ言葉で祈られた。”
“そのとき、御使が天からあらわれてイエスを力づけた。イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた。”
聞きいれられ、彼を救う力があった
新約聖書の手紙であるヘブル人への手紙は、神を「自分を死から救う力のあるかた」と名指している。それはその祈りが聞きいれられたと言う。ユダヤ教の歌と祈りの書である詩篇は、正しい者が叫ぶとき、主は聞いて彼らを救い出されると約束している。ヨハネによる福音書で、イエスが盲目から癒した人が同じ原則を述べている。神はかれを敬いかれの御旨を行う者の言うことを聞かれる。イエスは、どの父も子のパンの求めに石で答えはしないと教えた。
“キリストは、その肉の生活の時には、激しい叫びと涙とをもって、自分を死から救う力のあるかたに、祈と願いとをささげ、そして、その恐れかしこむゆえに聞きいれられたのである。”
“正しい者が助けを叫び求めるとき、主は聞いて、彼らをすべての悩みから助け出される。”
“神は罪人の言うことはお聞きいれになりませんが、神を敬い、そのみこころを行う人の言うことは、聞きいれて下さいます。”
“あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。”
ラザロの墓で、イエスは神に言う。「あなたがいつでもわたしの願いを聞きいれて下さることを、よく知っています」。
彼は何を求めたか?
ゲツセマネで彼は祈った。「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさってください」。彼は三度祈った。
何が来たか?
ルカは、ほとんどの聖書が印刷しているとおり、付け加えている。「そのとき、御使が天からあらわれてイエスを力づけた」。
その祈りは答えられたか?
ヘブル人への手紙は、彼が「自分を死から救う力のあるかたに」祈り、「聞きいれられた」と言っている。
死から救われることを求める祈りが聞きいれられるなら、それは救出によって答えられた祈りです。クルアーンは、アッラー(﷾)が彼をご自身のもとに引き上げられたと言っています。
神はいつも彼の願いを聞かれた
ラザロの墓で、イエスは自分の願いを聞いてくださったことを神に感謝し、神はいつも自分の願いを聞いてくださると言う。彼自身の言葉によれば、彼の祈りは退けられなかった。
“人々は石を取りのけた。すると、イエスは目を天にむけて言われた、「父よ、わたしの願いをお聞き下さったことを感謝します。あなたがいつでもわたしの願いを聞きいれて下さることを、よく知っています。しかし、こう申しますのは、そばに立っている人々に、あなたがわたしをつかわされたことを、信じさせるためであります」。”
キリスト教徒がその祈りをどう読むか
キリスト教徒はヘブル人への手紙5:7を、死の後に答えられた祈りとして読む。彼らは、神は三日目にイエスをよみがえらせることによって彼を死から連れ出されたと言う。彼らはまた、イエスはゲツセマネでの各祈りを、父の御旨に従うことで終えたと指摘する。そして彼らは、ヨハネによる福音書でイエスは自分はまさにこの時のために来たと言うと言う。
“キリストは、その肉の生活の時には、激しい叫びと涙とをもって、自分を死から救う力のあるかたに、祈と願いとをささげ、そして、その恐れかしこむゆえに聞きいれられたのである。”
“また二度目に行って、祈って言われた、「わが父よ、この杯を飲むほかに道がないのでしたら、どうか、みこころが行われますように」。”
“今わたしは心が騒いでいる。わたしはなんと言おうか。父よ、この時からわたしをお救い下さい。しかし、わたしはこのために、この時に至ったのです。”
クルアーンが何が起こったと言うか
クルアーンは、イエスは殺されも十字架にかけられもせず、アッラー(﷾)はかれが彼に約束されたとおり、彼をご自分のもとに引き上げられたと言う。それはヨナについて同じ種類の話を語っている。彼は暗闇の中で呼び求め、神は聞き、神は彼を救い出された。
“また彼らの、「本当に私たちはマルヤムの子息マスィーフ・イーサー、アッラーの使徒を殺したぞ」という言葉ゆえに(、われらは彼らを呪ったのだ)。彼らは、彼を殺してもいなければ、磔の刑にもしていない。だが、彼らには似通って見えたのだ。本当に、彼について意見を異にした者たちは、まさしくそこにおいて疑念の中にあった。彼らはそのことについて僅かばかりの知識もなく、ただ憶測に従っていたに過ぎない。そして彼らは、確信をもって彼を殺したわけではなかったのだ。”
“いや、アッラーは彼(イーサー)を、かれの御許に(魂と肉体と共に)お召しになったのである。アッラーはもとより、偉力ならびないお方、英知あふれるお方。”
“アッラーが、(こう)仰せられた時のこと(を思い起こさせよ)。「イーサーよ、本当にわれはあなたを召し、あなたをわれの許に上げ、不信仰に陥った者たちから清める者である。また、あなたに従った者たちを、復活の日まで不信仰に陥った者たちに優越させる者である。それから(清算の日)、われにこそ、あなた方の戻り所がある。そしてわれは、あなた方が(イーサーにおいて)意見を異にしていたことにおいて、あなた方の間に裁定を下すのだ。”
“また、ズン=ヌーン(のことを思い起こさせよ)。彼がひどく立腹し、(その民のもとを)立ち去った時のことを。そして彼は、われらが彼のことを(そのことゆえに、)決して辛い目には遭わせないだろうと思っていた。それで(アッラーからの苦しい試練に遭い、海で大魚に飲みこまれた時、)彼は闇の中で(主に、こう)呼びかけたのだ。「あなたの外に、崇拝されるべきものはありません。あなたに称えあれ。本当に私は、不正者の類いだったのです」。それでわれらは彼に応え、彼を苦悩から救い出した。同様に、われらは信仰者たちを救出するのである。”
節ごとに
ヘブル人への手紙 5:7 — 第5章7節
“キリストは、その肉の生活の時には、激しい叫びと涙とをもって、自分を死から救う力のあるかたに、祈と願いとをささげ、そして、その恐れかしこむゆえに聞きいれられたのである。”
引用の目的
「死から救う」とは「死の中から」という意味である。神は、彼が死んだ後にイエスをよみがえらせることによってその祈りを聞かれた。
応答
激しい叫びと涙を伴うヘブル人への手紙の祈りは、彼が杯が自分から過ぎ去るよう求めたゲツセマネに合っている。彼は死んでよみがえらされることを求めなかった。ヘブル人への手紙の書き手もまた、彼の時代の諸教会が教えたように、イエスは死に、死者の中から連れ戻されたと信じていた。しかし彼が保っているその祈りの報告ははっきりしている。イエスは自分を死から救う力のある方に求め、聞きいれられた。その言葉どおりに取れば、それは救出によって答えられた祈りであり、それこそクルアーンが起こったと言うことである。
結論 — ヘブル人への手紙は死から救われることを求める祈りが聞きいれられたと言い、死を免れることを求める祈りは死が免れさせられる場合にだけ答えられたことになる。
マタイによる福音書 26:42 — 第26章42節
“また二度目に行って、祈って言われた、「わが父よ、この杯を飲むほかに道がないのでしたら、どうか、みこころが行われますように」。”
引用の目的
イエスは父の御旨に従い、父の御旨は十字架であった。その願いは条件つきであった。
応答
神の御旨に従うことは、すべての預言者が祈る仕方である。それは聞きいれられた祈りを退けられた祈りにはしない。ヘブル人への手紙はその結果を一つの言葉で伝えている。彼は聞きいれられた。ルカはまた、神が彼を力づけるために天使を遣わされたと言う。そしてイエスは、父は求める者に良いものを与えてくださると教えた。
結論 — その祈りは神の御旨に従ったものであり、新約聖書は神がそれを聞かれたと言う。
ヨハネによる福音書 12:27 — 第12章27節
“今わたしは心が騒いでいる。わたしはなんと言おうか。父よ、この時からわたしをお救い下さい。しかし、わたしはこのために、この時に至ったのです。”
引用の目的
ヨハネによる福音書で、イエスは「この時からわたしをお救い下さい」と祈ることを拒む。彼はそのために来たからである。
応答
マタイ、マルコ、ルカは皆、彼が確かに杯が過ぎ去るよう祈ったことを記録しており、マタイは彼が三度祈ったと言う。ヘブル人への手紙もまた、彼が死から救われることを祈ったと言う。ヘブル人への手紙は彼の祭司職を説明するために書かれた。ヨハネの節は、三つの福音書とヘブル人への手紙が伝えることを消すことはできない。
結論 — 新約聖書は、彼が死から救われることを祈り、聞きいれられたことを記録している。
さまざまな視点
主流のキリスト教
神はイエスを死者の中からよみがえらせることによってその祈りに答えられた。イエスは、父がそれを望まれる場合にだけ杯が過ぎ去るよう求めたのであり、彼は進んで十字架に向かった。
ヘブル人への手紙5:7は、神がイエスを死なないように守られたという意味ではなく、彼をよみがえらせることによって死から救い出されたという意味である。
反論
激しい叫びと涙を伴うヘブル人への手紙の祈りは、彼が杯が自分から過ぎ去るよう求めたゲツセマネに合っている。彼は、死んでよみがえらされることではなく、助けられることを求めた。ヘブル人への手紙は彼が聞きいれられたと言い、死を免れることを求める祈りは死を免れさせることによって答えられる。
ゲツセマネで、イエスは父の御旨を自分自身の願いの上に置いた。
反論
神の御旨を第一に置くことは、すべての預言者が祈る仕方である。それは聞きいれられた祈りを退けられた祈りに変えない。ヘブル人への手紙は彼が聞きいれられたと言い、欽定訳のルカの本文では、神は彼を力づけるために天使を遣わされた。
ヨハネによる福音書で、イエスは自分はまさにこの時のために来たと言う。
反論
ヨハネの節は、三つの福音書とヘブル人への手紙が伝えることを消すことはできない。マタイ、マルコ、ルカは皆、彼が杯が過ぎ去るよう祈ったと言う。ヘブル人への手紙は、彼が死から救われることを祈ったと言う。
イスラームの視点
神はかれの預言者の祈りを聞き、彼を死から救われた。その祈りとそれが聞きいれられたことについての新約聖書自身の記録は、クルアーンの答えを指し示している。
イエスは、神はいつも自分の願いを聞いてくださると言った。
ゲツセマネで、イエスは神に杯を自分から過ぎ去らせてくださるよう求め、三度祈りに戻った。
欽定訳聖書を含むほとんどの聖書は、これについてのルカの節を印刷している。それは、彼が祈っていたときに天から天使が来て彼を力づけたことを記録している。
ヘブル人への手紙は、彼は自分を死から救う力のある方に祈り、聞きいれられたと言う。
合わせて読むと、これらの節は、神が聞いて答えられた、死を免れることを求める祈りを指し示している。
クルアーンは、イエスは殺されも十字架にかけられもせず、アッラー(﷾)は彼をご自分のもとに引き上げられたと教えている。